【写真】サステイン好みでない(笑)ルックスの世界フライ級チャンピオン福田龍彌 (C)MMAPLANET
修斗フライ級戦線の話題は、スーパーノヴァこと平良達郎一色だ。しかし、世界チャンピオンは他にいる。
昨年6月の大阪大会で前田吉朗を破り、暫定王者になった福田龍彌が扇久保が1月31日に扇久保博正がベルトを返上したことで、正規王者に認定されている。
修斗戦績11勝2敗1分、MMA戦績12勝5敗──VTJでは大田区総合体育館で試合をしたことはあるが、後楽園ホールで修斗公式戦を戦った経験がない世界チャンピオンだ。
お蔵入り厳禁、2月6日に世界王者の現状を尋ねたインタビュー。恐らくは修斗史上、最も首都圏のファンに認識されていない世界王者である福田の現状への憂いを聞くと同時に、衝撃の格闘技との出会いを披露してもらった。
──修斗世界フライ級王座は1週間ほど前に扇久保博正選手が王座を返上しましたが、福田選手が正規王者になったという理解で良いでしょうか。
「なるんですかね。ホームページでは、そうなっています……。暫定タイトル戦を戦った時は180日以内に統一戦があるということだったのですが──。扇久保が返上するというのは、正式発表の1週間ぐらい前に聞きました。でも、暫定チャンピオンになってからは、ずっと暫定王者ってなんなんやろうっていう感じでしたね」
──昨年6月の前田吉朗選手との暫定王座決定戦で勝利し、7カ月が経ちましたが、その後は試合が組まれていないです。
「あの試合の前に……一昨年の9月に渡辺健太郎選手との試合があってKO勝ちできて。で、クリスマスの頃からに年が明けて東京の大会で試合があるということだったのですが、それがなくなって……。3月もなくて、6月に大阪で暫定王座決定戦を戦ったのですが、俺からしたら3月に試合をして6月に前田吉朗と戦いたかったです。とにかく試合がしたかったので」
──暫定王座も唐突な感がありました。これは大阪大会、前田選手アップだなと勝手ながら思っていましたし。
「それは思いましたね。吉朗さん、凄い人やから。前人未踏のパンクラス、DEEP、修斗制覇みたいな感じで盛り上がるし。唐突に感じるのは、関東の人間ばかりで回していたからやと思います。関西の人間を混ぜてくれたらもっとバリエーションも増えたのになって」
──東京で試合がしたいというのが選手の想いでしょうか。
「沖縄の大会も呼んでくれるし、闘裸男もあって西日本は回っているのですが……サステインも地方を絡んでくれたら良いのにな──とは思っていました」
──コロナ前はBORDERという関西基盤のプロモーションがあったので、定期的に試合機会はある。そしてサステインもVTJと公式戦を大阪で開いていた。その辺りも関係しているかと思いますが、暫定チャンピオンになり、お披露目がないのは東京在住の人間としても、勿体ないと思いました。
「まぁ不満になってしまいますけど、ベルトを巻いても何も変わらないというのが本音ですね(笑)。後楽園ホールで試合をしたことがない人間が、修斗でベルトを巻いたことってあるんですかね。僕、関西の選手には本当に負けていないので東京で試合がしたいですね。もう関西でやっても、フライ級の修斗の選手にも負けへんと思うし、それだけやりつくしました。だから関東の選手と戦えないと、修斗でやっている醍醐味がないです」
──いろいろな想いはあるかと思いますが、修斗世界フライ級王者と格闘技の出会いを教えてください。
「僕は修斗を始めるまで日本でどこかのジムにいたことはなくて、ムエタイが初めて練習した格闘技なんです」
──……? ムエタイが初めての格闘技だけど、ジムに所属したことがない? どういうことでしょうか。
「あのう……自分でも笑ってしまうんですけど、中一の夏休みにオトンから『海外旅行に行こう』って言われて、凄くテンションが上がってタイに一緒に行ったんです。で、タイに着いたらタクシーに乗って、バンコクの凄く汚い路地に入っていって」
──話が見えてきたのですが、メチャクチャ楽しみな展開です(笑)。
「タクシーを下りたら、金網のフェンスがあるところで。そのフェンスを潜ったらリングが置いてあって……ムエタイのジムだったんです」
──ダハハハハ。
「『ここ、お前の宿や。3カ月おれ』って。そのままオトンにムエタイのジムに置いていかれました」
──いやぁ、お父さんは何者なんですか(笑)。
「なんか、やらせたかったんでしょうね。オトンも躰道みたいな、結構何でも有りのヤツをやっていて。家でも僕が小さいときにDVDを買ってきて、ムエタイとか見とったんですよ。で、そのまま3カ月ぐらい住み込みで練習していました」
──もう笑いごとではなくなってきました。タイ滞在中に夏休みはとっくに終わっているじゃないですか。
「だから暫らく学校に行っていないんですよ。帰国便に書かれてあった日を迎えた時はメチャクチャ嬉しかったです」
──お母さんは反対しなかったのですか。
「もう、その頃は家を出て行っていたので……。僕は20歳までオトンと一緒に生活していたんです。オトンはファンキーで……でも今は再婚して普通に幸せにやっているかと」
──なるほど。人は変われるモノなのですね。ところで、ムエタイジムでの3カ月間どのように過ごしていたのですか。
「食事はジムが用意してくれるもので。水とか飲んでも、僕は腹を下さなかったです。他の外国人は、ほぼほぼやられていましたけどね」
──生物として強い(笑)。雨水を貯めていたりしていますよね。
「ハイ、それがシャワーでした」
──いや、中一で。その生活ですか、本当に凄いことです。
「言葉が通じないから、ずっと練習していました。朝5時半に起こされて12キロぐらい走って。そこからシャドーが始まって、1Rが4分半ぐらいなんです。それを2Rしたあとにミット打ちを4R、そこからスパーリングが5R。スパーが終わったら、首相撲を40分ぐらいぶっ通しでさせられて、最後は補強で腕立て、腹筋、懸垂をやります。だいたい終わるのが9時半ぐらいでしたね。
で、ポンと置かれているシャンプーを使って、雨水でシャワーを浴びて(笑)。洗濯をして、キックパンツを干して、10時半から朝ごはん。食べ終わると寝る。3時半に起きて、また同じメニューをする。この2部練を3カ月間やっていました。大人と子供を合わせて8人ぐらいで、ずっと練習していましたね」
──コミュニケーションは、どのように取っていたのですか。
「ゼスチャー?」
──体言止め、しかも疑問形(笑)。
「お金も持ってないし、逃げ出すこともできない。だから3カ月、やり抜くしかなかったんです。オトンはちょっと観光して日本に帰国したそうです(笑)」
──ダハハハ。福田少年は帰国後に格闘技は?
「していなったです」
──いや、お父さんは何のためにムエタイのジムに福田選手を放り込んだのですか?!
「何かを頑張る素晴らしさを知って欲しかったそうです(笑)。帰国後、続けなかったのはジムがなかったからです。でも家にサンドバックがあったので、毎日のようにバックを叩いてはいました」
──最終的にMMAを始めたのは、いつになりますか。
「17歳の時にピュアブレッド京都に入門しました。中学の時の先生が『ここエェんちゃう?』って言ってくれて。ゴン格でウエタ(ユウ)さん、江田(塾長こうすけ)さん、柴(博)選手、佐藤(拓也)が四天王って紹介された時ぐらいに入門したんです」
──いや、話が見えないです。中学の先生がそう言うのも(笑)。それはヤンチャしていたことでの人間関係でしたか。
「中学の時は少しヤンチャしていました。でも高校の時は寝てるキャラでした。普通に卒業しましたし。でも、常に面白いことがやりたいと思っていて、それを追求していてMMAを始めたんです。
最初はムエタイしかできなかったので、テイクダウンされまくりましたね。でも打撃スパーだけでは、ナンボでもできました」
<この項、続く>
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