【写真】唯一といって良い、危険だった場面はなぜ生まれたのか──と武術的に検証する (C)ONE
MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。
武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは間、質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑氏とともに見てみたい。
武術的観点に立って見た──ONE TNT04における青木真也エドゥアルド・フォラヤンとは?!
──青木選手がフォラヤンに腕十字で一本勝ちをしました。そしてスタンドでは左ミドル、左ハイという攻撃を見せて組みつくという流れでした。
「腹が据わっていました。剛毅會の道場訓はマナーやスローガンではありません。そんなモノは生きていく上で何の役にも立ちません。その一つに『肚を据え浩然の気を養うこと』とあります。ある意味、武道とは腹が据わるために稽古をしているといって過言でないです。
体の調子がおかしい、癌の検査にいかないといけない。怖いですよ。怖気づきます。でも、もう腹が据わるしかないでしょ」
──そうですね。現状を把握することが、家族と生きていくことですから。
「そこです。そこなんです。それって若い人間には出ないエネルギーなんです。背負っているモノがないと出ない。それが浩然の気なんです。我が身可愛いではなくて、我が身よりも大切なモノがあるというエネルギーは凄まじいものあります。その浩然の気が、青木選手は出ていました。
そうすると時間だったり、空間が変わってきます。だから立ち合った瞬間に、空気が変わりました。間は完全に青木選手で、フォラヤンは殴れない。空気がそうさせないんです。恐れ入りました。質量が圧倒的に高かったです」
──そこまでだったのですね。青木選手からも実は試合後に『少し上手くなってきています。これは実感あります』と連絡があったんです。
「あぁ、なるほど……だからですね。いや、腹が据わることが良いんです。ただし、それも余裕がありすぎるとまた危ない。青木選手が恐怖感をいつものように持っていないのが、実は逆に怖かったというのもあります。不安のなかで戦うから、緻密にグラップリングに持ち込むことできるのも、青木選手の良さでもあるので」
──いやぁ難しいものですね。でもフォラヤンの左フックをほぼよけていましたし、全般的に凄く良い戦いに見えました。
「そこに関しては、今日の青木選手はPFLのバッハ・ジェンキンスと同じでした」
──う~ん、どういうことでしょうか。
「また道場訓の話になりますが、『姿に勢いを持ち至誠真鋭の道を歩むこと』というのもあります。姿に勢い、姿勢とは形のことではないです。そこにある種のエネルギーがあって、初めて姿勢になります。相手がぶん殴ってくることができる姿勢は、姿勢じゃありません。型でそこを創っていきます。
今日の青木選手はジェンキンスと同じで、質量は高いけど、姿勢は悪かったです」
──青木選手が、ですか?
「ハイ。質量が低いのにフォラヤンはあの勢いのある左フックを振るうことが出来ました。もちろん試合だから、殴られることもあるでしょうが、あのパンチは出させない方が良いに決まっています。あのパンチは本当に危ない一発でした」
──それは青木選手の姿勢が悪いからだと。
「ハイ、あくまでも武術的な見方ですが。青木選手の姿勢が悪くて、間がフォラヤンになりかけた瞬間がありました。完全にはならなかったのですが、フォラヤンがあの左フックを出せる原因を青木選手が創ってしまったんです。
青木選手は左ミドルを蹴りたい。ミドルを蹴ることは良いのですが、その前の姿勢で頭の位置が良くなくて、フォラヤンが殴れる状況を創っていました。
具体的にいえば、ミドルを蹴る前の姿勢で、頭の位置が後ろ過ぎたんです。青木選手が飯村(健一)さんとのミットをしているとき、頭の位置はあそこじゃないですよね」
──もう少し前かと……。
「ムエタイのミットは空手のミットのように踏み込んでガンガン蹴るのではなくて、頭の位置と前足の位置関係が一直線につながっています。後ろ足の上に頭がある構えは、ムエタイの型を創るようなミット打ちでは見られないです。逆にフルコン系では顔面殴打がないから、頭が後ろになって蹴っている人がいて、そういう人がグローブをつけた試合に出ると殴られてしまう。そこは嫌というほど見てきました。
青木選手もその状態で左ミドルを蹴るから、あの姿勢は危なかったです。結果論として当たらなかったけど、当たっているとどうなったか。だから、あのパンチを出させない頭の位置の方が良いということになります。間がまだ青木選手だったので、パンチは当たらなかったですが、非常に危ないと感じました。
ただし、フォラヤンが試合後に『テイクダウン対策はしてきたんだけど』というようなことを言っていましたが、もうその時点で青木選手に先を取られていたということですね。あの後の動きも、技を極めようとか──そういうのではなく、探っているように見えました。何か宝探しをしているような」
──宝探しですか……。
「普通はできないですよ、ああいう試合は。それに今日の青木選手の試合後の笑顔は……あれは子供の頃、ああいう顔をして笑っていたんだろうなって想えました。凄く素敵でした。秋山選手の名前を出すまで、完全に素の良さが出ていて。でも、あそこからちゃんと仕事を始めて、そこも踏まえてさすがです(爆)。
格闘技を格闘技で終わらせない。もう青木道ですね。それは彼にしかできないことです。先日Fight & Lifeで対談をさせていただいたときに、青木選手が尊敬と感謝ということに非常に関心を持たれていて。
尊敬と感謝って、自分を信じていない奴にはできないことなんです。自分を信じられていない奴の尊敬と感謝って、『謙虚で良い人だな』って思われるかもしれないけど、それは違う。自分という軸がなくて、人様に尊敬も感謝もできない。そういう人の感謝、敬意を払う言葉は『だから、何とかしてください』っていう代償を求める言葉でしかないんです」
──あぁ……分かります。〇〇〇さんだ(笑)。
「アハハハハ。自信が持てるから相手に敬意を払えるし、尊重できるんです。そこで感じた敬意はホンモノなんです。自分に自信が持てれば、相手を尊重できます。他尊自信ですね。これも剛毅會の道場訓に『他を尊び自己を信じること』とあるんです。この言葉の意味は相手を尊重しなさいと言っているのではないんです。自分を信じることができる人間が相手を尊重できると言う意味なんです。尊敬と感謝されるには、尊敬と感謝をしていないといけない。
その点において、青木選手のこのところの言動を見ていると、自分を信じていることができるようになっていて、尊敬し感謝しているように感じられます。最初にいった腹が据わるというのと、尊敬と感謝は繋がっているんです。自分のことを信じられる人間は尊敬と感謝ができて、腹が据わってくる。次の世代の人間にとって道標になる人間とは、次の世代への責任が果たせる人。青木選手はそういう存在になっていますね」
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