【写真】インドMMA界のパイオニア──Super Fight League (C) MMAPLANET
国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第13弾はMMAPLANET夜明け前から一転、ただ単なるイベントプログラム・シリーズ……その第2回として2012年4月7日、Super Fight League(SFL)のパンフレットを捲ってみたい。
SFLはインド初のMMAプロモーションで、この1カ月弱前にムンバイで旗揚げ興行を行ったばかり。ロンドンで生まれ育ったインド人富豪のラジ・クンドラとインドのシルベスタースタローンことサンジェイ・ダットが共同オーナーだ。クンドラは今もアジアのプロスポーツ・リーグで最も資産価値の高いクリケットのインディアン・プレミアリーグに参加するラジャスターン・ロイヤルズのオーナーでもあった(※2015年に、八百関与でクリケット連盟より永久追放される)。
発足から3カ月にして、2度目のSFLには日本からミノワマンが出場し、メインでは後のUFCファイター=トッド・ダフィー✖UFC&Bellatorベテランのニール・グローブが組まれていた。
対戦カードから分かるようにストライクフォース&UFCで活躍したパット・ヒーリーの実弟ライアンが、元UFCの英国人選手=ポール・ケリーと第1試合で戦うなど、海外からの実力者や名前のある選手が集められ、まだMMAが始まったばかりのインド人ファイターはスリランカ人と戦うという二本立てのラインナップが用意されていた。
ただしデリーから北へ5時間のドライブで到着したチャンディガールという人口100万人以上の人工都市では、選手たちが滞在するホテルのレセプションだけでなく、クシュティ(ヒンドゥーレスリング)の練習生や指導者もMMAを知らないという状況だった。
クンドラはインド映画ボリウッドの人気女優のシルパー・シェッティと結婚しており、MMAを普及させるために銀幕のスターの力を大いに使った。シェッティの妹で彼女を上回る知名度を誇るシャミターでメディアの関心を高めようとした。
試合前日のパブリック計量では、その計量結果やルールミーティングにはまるで興味を示さなかったローカル・メディアは、シェミターの登壇とともに記者席のテーブルを飛び越え、我さきにとばかりステージにかぶりつき状態に。あちらこちらで口論や、小競り合いが見られる事態に陥っていた。
イベント当日も第1試合が始まるまで、自体もパンフレットで選手以上の扱いを受けていたラッパーや歌って踊れる芸能人のステージが1時間以上も続いた。
肝心のケージの中はインド✖スリランカ対決と、国際戦のレベルの違いは明白だったが──自分は最後まで大会取材ができたわけではなかった。
第4試合に出場したミノワマンがアレキサンダー・シュレメンコのミドルで脇腹を負傷し、病院へ向かうことに。英語と日本語が理解できる人間が、レフェリーの島田裕二さん以外にいなかったことで──カメラバックを選手の控えテントにおいて、救急車で現地の病院に向かうよう大会関係者に請われたからだ。
この救急車サスペンションがガチガチに固く、ちょっとした路面の不具合が車内に直結する。大きく車が跳ねる度にワキ腹を抑え、苦痛でうめき声をあげるミノワマンには非常に申し訳ないが、「牛が来たら、救急車も止まるのか」などと自分は考えていた。
ミノワマンが搬送された病院がまた凄かった。救急車で運ばれたミノワマンは、ストレッチャーに乗せられたままで延々と待たされ続ける。そのあげくドクターは患部を触るだけで、痛み止めを打って終ろうとする。いやいや、「彼は明日5時間のドライブから飛行機で8時間かけて東京に戻るのだから、もう少しちゃんと見てくれ」とこっちも必死になる。なんとかレントゲン撮影までこぎつけ、患部にジェリーを塗ってエコー検査のようなモノを終えると、「骨には以上がない」と満足気な表情でペインキラーを注射した。
病院についてから、かれこれ2時間半は経過していただろうか……大会はすでに終わっており、ホテルに直接戻ってきてくれとSFL関係者から携帯に電話があった。我々が宿泊していた五つ星ホテルはパキスタンと国境を接している州ということもあり、常にXレイで持ち物の検査がある……と、その時になって初めてカメラバッグを持っていないことに気付かされた。
ミノワマンのセコンドだった伊藤崇文さんも、自分のバックは見なかったという。いや、カメラとレンズで60万円以上の機材なんですけど……。焦りまくり、徐々に「伊藤さん、そこは見ておいてくれよ。あんたが英語が分からないから、俺が病院に行ったんだろう……」だとか「ミノワマン、ミドル蹴られたぐらいで怪我すんなよ」、「インドになんか来るんじゃなかった」とロビーで人間の小ささを示さんとする感情に支配しれていた。と、ミノワマンと同じ控えテントだったライアンの兄パット・ヒーリーが、「病院に行ったと聞いたから、困るだろうと思って持ってきたよ」とバッグを肩から掛けて笑顔を浮かべている。
1994年、放浪中にウィーンで現金とトラベラーズチェックを合わせて100万円ぐらい入ったウェストポーチをトイレに忘れ、1キロほど猛ダッシュでマクドナルドに戻った時に、入り口の前で「きっと慌てて取りに来ると思ったよ」と待ち構えていてくれた店員さんと、この時のパット・ヒーリー──2人の天使のような笑みを決して忘れることはない。
閑話休題。
クンドラは翌年、経営に行き詰まりSFLを手放したが、新たなオーナーの下でその活動は2017年まで続いた。SFLを中継していたインド・スタースポーツは昨年4月からONEの各大会を放映している。ONEにはインドの女子レスリング界を変えた一族からMMAに転向したリトゥ・フォーガット、インド系カナダ人で五輪レスラーのアルジャン・ブラーのという手札がある。
Brave CFは既にインド進出を果たし、SFLのリアリティTVショー出身でInvicta FCとの提携で米国デビューを済ませたマンジット・コルカーを登用。カタンタラジ・ジャカル・アガサなど国際戦で勝利する選手もでてきた。
「インドで2番目に人気のあるスポーツになれば、それで十分なマーケットが存在する。SFLのターゲットは中流層の18歳から35歳。この層だけで5億人の人口がいるんだ」というクンドラの言葉が思い出される。
中国の次はインド、これはもう明白だ。
ちなみに帰国後、ミノワマンは日本で診察をうけ脇腹の骨折と診断されている──。そしてミノワマン、伊藤さん、島田レフェリー、自分、帰国してから2週間以上、下痢が続いた。