【写真】2009年4月、最後の試合から11年が経ったフランク・シャムロック (C)DAVE MANDEL
MARTIAL WORLD Presents新訪問シリーズ=「MMA版あいつ今何してる?」──第2回は日米を股にかけてMMAの創世記から、定着&発展期に常にトップファイターとして活躍したフランク・シャムロックだ。
ケン・シャムロックの義弟は1994年12月にパンクラスに来日し、一躍トップスターに躍り出ると、1997年にはRINGSで高阪剛、VTJでエンセン井上と日本の重量級のトップファイターを破る。さらにエンセンに勝利した1ヵ月後に横浜アリーナで開催されたUFC JAPANで五輪金メダリスト・レスラーのケビン・ジャクソンを腕十字で秒殺し、フランクはオクタゴンデビューを果たした。
1997年12月から1999年9月までUFCで活躍したフランクは世界ライトヘビー級王者に君臨し、4度の王座防衛に成功している。しかし、Zuffa体制になると彼はオクタゴンを去り、Zuffa買収前のWECからElite XC、Strikeforceと常にUFCのオポジションで活躍し、ダナ・ホワイトに対しては批判的なコメントを繰り返してきた。
そのフランクが現役を退いて11年が過ぎた。2017年にはRIZINで桜庭和志とグラップリングのエキシビションも行った彼は今、何をしているのだろうか──。自らのドライブで北米MMAのフィーダーショーを追い続けたキース・ミルズが近況と、殿堂入りしてもおかしくないZuffa UFCとの間に何があったのかと尋ねた。
Text by Keith Mills
──UFC、WEC、そしてStirkeforceで頂点に立ったフランクだけど、ZuffaになってからUFCとは疎遠になったままだね。
「彼らがUFCを買った時に、実は僕は彼らに雇われていたんだ。そして2週間いっしょに練習し、MMAはどうあるべきかを協議していた。僕は彼らがUFCをどう発展させていくのか、その代弁者であり、彼らのブランドのチャンピオンだったんだ。2週間、ロレンツォとダナと一緒にトレーニングをし、このスポーツは何かを彼らと話し合っていた。このスポーツの成り立ちを話し、これからどのようにやっていくのかを、ね。
2週間後、2人は僕に椅子につかせて彼らの方針を伝えてきたよ。彼らは僕に『試合に出てくれ、それが君の役割だ。我々の次のマーケット開拓は、この2人がやっていく』とね。それがティト・オーティズとカルメン・エレクトラ(モデルでデニス・ロッドマンの元夫人)だった。ピカピカに着飾られた……見せかけ重視の方針だった。僕は『これは僕が想うMMAというスポーツじゃない』と伝えたよ。
少なからずMMAは、今もあの時の彼らの選択の影響を受けている。そのダメージを受け続けているといっても良いだろう。2人のあのやり方が、今もMMAの一般的なプレゼンになっているようにね。皆が、そういうイメージでMMAを見ているんだ。
『これは違う。もっと正しくMMAを導かないと。こういうことをやり過ぎるのは良くない』。それが僕の考えだった。だからUFCと同じ道を進むことはなくなり、他の団体で自分の信じるやり方でMMAを発展させたいと思った。
結果、フランク・シャムロックは公然とUFCにとって一番の敵になったんだ」
──そんなことがあったんだね。
「その後、僕はストライクフォースで仕事をするようになり、彼らとハッキリと競合するようになった。自分のすべきことを加速させたよ。UFC……ダナ・ホワイトとの関係はさらに悪化し、互いに嫌うようになっていったんだ」
──ダナやロレンツォとストライクフォースのスコット・コーカーは違ったの?
「僕にとっては違う。僕は常にスコット・コーカーには全幅の信頼を寄せている。文字通り、スコットとストライクフォースの面々は命を懸けてプロモーションを運営していたからね。
それが僕のスコットの印象だ。でも、ノールール時代に格闘技とコネクトしていた連中って、そうなんだよ。そういう時代を経験している連中は命を懸けてMMAを発展させるという想いでいた。それが僕にとって全てだったんだ。
──引退から2年後にStrikeforceがUFCに買収されたね。
「彼らと一緒にやりたいとは一切思わなかったよ。僕は彼らを信用していない。僕らはある一線のあっち側と、こっち側にいる。同じサイドにいることはない。僕は彼らと同じ側にいようとは思わないんだ」
<この項、続く>