K-1グランプリ初代王者ブランコ・シカティックさんが死去

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2020年03月23日(月)R.I.P. Branko Cikatic-san.(Chakuriki Japan)
R.I.P. Branko Cikatic-san.

 チャクリキを代表する選手、指導者であったブランコ・シカティック氏が昨日、クロアチア、ソリンのご自宅で亡くなられました。2018年に肺血栓症で入院、ICU治療を行って以来、パーキンソン病等もあり、ここ2年程は家族の支えのもと自宅での闘病生活を送っておりました。薄々の覚悟はあったとは言え悲しくてやり切れません。早いです。65歳、まだまだ早過ぎます。また「ブランコ募金口座」に治療費の募金を頂いた皆様に改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
 ノブ ハヤシ選手ともよく話しましたが、私たちが憧れたチャクリキの形が、トム・ハーリック&ブランコ・シカティック&ピーター・アーツでした。それはチャクリキ・ジャパンの初期メンバーに共通の思い入れです。ピーターがチャクリキ復帰した時、この3人の顔合わせを再び見られた時には痺れました。個人的にも色々な付き合いが有り、色んな事を今思い出しております。ワインが好きでよく飲んでいましたね。
 今は偉大なる初代K-1チャンピオンが安らかに天国へ向かわれる事を祈念しております。ブランコさん、ありがとうございます。決して忘れません。クロアチアの偉大なるタイガーよ安らかに。


ブランコ・シカティック - Wikipedia

 ブランコ・シカティックさんについてはこちらを参照。『K-1 GRAND PRIX '93』はモーリス・スミスやピーター・アーツが優勝候補でしたが、決勝戦が当時無名だったブランコ・シカティック vs. アーネスト・ホーストになったのには驚きましたし、シカティックが3試合ともKO勝ちで優勝したことにも驚きました。PRIDEにも出場経験があり、『PRIDE.2』では負傷欠場したホイス・グレイシーの代打でマーク・ケアーと対戦しロープ掴みで反則負け、『PRIDE.7』ではモーリス・スミスにギロチンチョークで敗れています。謹んでご冥福をお祈りします。続きを読む・・・
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