【写真】今回は岩﨑氏が大塚陣営にいたということで、試合前から武術という視点に立ってMMAについて述べてもらった (C)MMAPLANET
MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。
武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは間、質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑氏とともに見てみたい。
武術的観点に立って見た──Shooto2021#02における修斗世界バンタム級選手権試合=岡田遼大塚隆史とは?!
──岡田遼大塚隆史、岩﨑さんは大塚選手陣営の1人でしたが、この試合を振り返ってもらえますか。
「ハイ、ところでこの試合どのように思いましたか?」
──実は試合終了直後に勝った岡田選手に感想を尋ねられ、「人間が必死に戦っている良い試合。あくまでも修斗の王座を賭けた試合で、LFAやコンテンダーシリーズで見られるUFCに行くための人間でなく獣になっている試合ではなかった」と正直に話させてもらいました。
「アハハハハ。それはUFCを目指していないという風にとったということですか」
──UFC云々ではなく、この試合に一生懸命に取り組んだ結果を否定するわけでもなく、ただ単にこの上を見ている試合ではないと感じました。
「まぁ平良達郎選手のような勢い、ここでまごついていられないという戦いではないということですね。それはこういうとアレですが、田中路教選手や松嶋こよみがああいう試合になったら想う印象であって、大塚と岡田選手の試合です。私は岡田選手のことを知らなかったのですが、『凡人が云々』ということを言っていましたね……凡人として天辺ということを口にするということは、バケモノの世界に行けるとは思っていない。彼は頭が良いので、そういう判断ができてしまうのでしょうね」
──そうなると国内で戦っていて、試合だけ食っていける状況を作るか、海外で食っていける選手が増やすのか。この2つのどちらかがないと、日本のMMAはどんどん落ちる一方だと思います。
「まぁ……この間の試合でいえば平良選手のような選手が、ボコボコと出てこないと活性化は難しいというのは私も分かります。フレッシュなんですよね。その勢いというのは、今しかないということで。ホント、強い選手と今、戦っていかないと。
なんというか、パラエストラ千葉ネットワークの選手はジムが一体化しているのか、試合のマネージメントが優れています。これはですね、私が所属していた支部はライバルだった支部にマネージメント力でしてやられていました。ただしそこの支部は、世界王者は出せなかった。国内のウェイト制の試合のマネージメントに優れていても質量な勝る海外の選手とやり合うことはできなかった。良い悪いでなく、競技として別のマネージメントが必要だったのだと思います」
──つまりは大塚選手の敗北は、試合のマネージメント力に負けたということですが。
「いえ、それはそういうこともありますが……。まぁ、試合前に色々と岡田選手の研究をしたのですが、なかなか特徴が見いだせなかったです。MMAを戦う上で厄介なことは理解できていたのですが、何が厄介でどうすれば良いのかという答えがなかった。
私は武術を通してMMAの分析はできますが、5分5Rのマネージメントやスコアリングというモノをもっと知らないといけないと痛感しました」
──強さと、試合の勝ち負けはまた違う軸が存在します。
「そういうなかで──準備段階で、大塚はマズいなと。ぶっちゃけていうと精神的にも肉体的にも5Rを戦い抜けるのか、その確信が持てていなかったです。そもそも大塚のなかでも11月に安藤選手に勝って、タイトルマッチまでもう1試合挟むことになるという想定だったんです。
いずれは戦うとしても、ここまで急に決まるとは思っていなかったです。私も過去5年間、大塚がどういう練習をしてきたのかも分かっていなかったですしね。30歳を超えると、頭ではそうしようと決めても心と体が戦いを求めてない──そういう経験する人も多いかと思います。心も体も求めていないけど、オファーがあるから試合をするという感じで。
そういう人に技だとか、試合の組み立てとか説明しても、頭では理解しても体が受け入れようとしていない。だから、現実問題として戦略も立てようがないという状態でした。もう岡田選手だとか、5分5R以前の問題で。正直、途方に暮れていました」
──……。
「実はここは武術の本質的な話になってきます。私も空手の選手の後半期に、その状態に陥っていました。当時は分かっていなかったですが。心も体も戦いを求めていないのに、頭では『俺はやるんだ』、『俺は勝つんだ』と思っていた時期がありました。そういう時は練習してきたことが試合で出なかったです。練習と試合での精神状態が余りにも、かけ離れ過ぎているんで。結果として練習しても、試合の準備になっていなかった。
私の場合は站椿に取り組むようになって──それまでになかったのですが、練習の精神状態のままで試合を戦うことができたことがありました。結果を残せたかといえば、残せなかったですけど、あの感覚が面白くて今に至っているとつくづく思うんです。
28歳の頃、当時は站椿でしたが、自己流では限界があるので型を習うようになりました。そうすることで、『勝つんだ』、『これをやるんだ』ではなくて、内向きになっていった。これはヨガなどで内観と言われているのですが、自分と向き合うようになった。
その内観が、大塚に始まったんです。勝ち負けだとか、負けたらどうしようだとか、相手をやっつけるという意識を超越した境地が存在します。相手を見ているのか、自分を見ているのか。それは練習でも分かります。自分のやるべきこと、動きを追求して、相手のことは関係なくなっている。そんな風に大塚が内観するようになってきた。
肉体では勝てない、そういう気持ちになることで内観が始まったのかもしれないです。結果として、戦える状態に急になりました」
──……。
「武術と格闘技を線引きすると、格闘技は自分を守る行為。体を守るということではないですよ、勝とうとすることで自分の存在を守る。自分のため、ですよね。武術とは家族や国家のために、自分の身を捨てる行為です。後ろに自分の子供がいて、その子供も守るという気持ちがあると距離から何から、全て変わってきます」
──ただし、MMAの試合で負けて自分の家族に危害が及ぶことはないです。
「その通りです。自分を守る行為と、自分を捨てる行為は違います。そして内観が始まるということは、自分を守る……自分への拘りを捨てたんだと思います。そういう面では敗れはしましたが、大塚にとってベストバウトなんです。これが武術でいう事理一致ということかと。心と体が一致している」
──ただ、試合ですから負けるとダメじゃないですか。いくら事理一致だとか、内観が始まっていても。
「そこなんですよ。年を取って体力的に落ち、気持ちも萎え始めると、本来は生物として勝てる要素はなくなるんです」
<この項、続く>
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