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— スポーツ報知東京販売局 (@hochi_hanbai) March 31, 2021
「#キックの鬼」の愛称で親しまれた元 #キックボクサー の #沢村忠 さんが3月26日に肺がんのため死去。78歳だった
代名詞の「真空飛び膝蹴り」でKOを量産して一世を風靡し、半生を描いた漫画やテレビアニメでも人気を博した
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“真空飛び膝蹴り”「キックの鬼」沢村忠さん死去…78歳(スポーツ報知)
昭和プロスポーツ史を代表するスーパースターで、「キックの鬼」の愛称で親しまれた元キックボクサーの沢村忠(本名・白羽秀樹)さんが、3月26日に肺がんのため千葉県内の病院で死去していたことが31日、分かった。78歳だった。沢村さんは代名詞の「真空飛び膝蹴り」でKOを量産して一世を風靡(ふうび)し、半生を描いた漫画やテレビアニメでも人気を博した。葬儀は近親者のみで30日に執り行われた。
昭和の巨星が旅立った。親族によると、沢村さんは26日午後4時18分に千葉県内の病院で家族や近親者にみとられて死去した。葬儀は30日に親族と近親者だけで行われ、千葉・市川市内の斎場でだびに付された。ひつぎには「キックの鬼」らしく、背中に般若の顔が描かれたガウンなど、現役時代の愛用品が納められた。
◆真空飛び膝蹴り 沢村さんが得意とした必殺技。相手が攻め込んできた瞬間に空中へ飛び上がり、相手の後頭部や首筋に蹴りやすい方の膝で打ち込む。持ち前のジャンプ力で、助走なしでの最高打点は185センチとされる。タイ式ボクシングで鍛えられたガードの堅いタイ選手対策として、半年間の秘密練習で身につけた。技の名前をつけたのは、沢村さんの試合を中継したテレビ実況アナウンサーとされている。
◆沢村 忠(さわむら・ただし)本名・白羽秀樹。1943年1月5日、旧満州(中国東北部)生まれ。法大一高、日大芸術学部映画科卒。幼少期から祖父に剛柔流空手を習い、大学在学中にキックボクシングに転向。66年にプロデビューしKO勝利を飾った。2戦目はムエタイの強豪サマンソー・アディソンから十数回のダウンを奪われKO負け。以後、日本キックボクシング協会(当時)認定の東洋ミドル級王座を14度防衛し、同ライト級王座を20度防衛。77年の引退までの生涯戦績は232勝(228KO)5敗4分け。家族は妻と1男2女で、長女は元タレントの白羽玲子さん。現役時代のサイズは174センチ、61キロ。
沢村忠さん評伝…昭和のスーパースター、228KO、年間平均20戦の「鉄人」(スポーツ報知)
公表されている戦績は、約10年の活動期間で232勝(228KO)5敗4分け。一説には500戦以上とも言われる。人気のあまり引く手あまたとなり、現在のスター選手の4~5倍相当にあたる年間平均20試合を消化。過酷な戦いをこなし、すねの腫れが引かないまま試合に出ることも多かった。
77年の現役引退後は「伝説のキックボクサー」とも言われるようになった。公の場にほぼ姿を見せなかったからだ。表舞台から遠ざかった理由として、親族は「根も葉もないことをマスコミに書かれるから、と本人が話していた」と明かした。リングから離れはしたが、町道場で子供たちにキックの楽しさと厳しさを熱心に指導。沢村さんの魂は引き継がれている。
【追悼】“真空飛び膝蹴り”沢村忠はリアルに弱かったのか? 全241戦「フェイク試合だった」疑惑を検証する(Number Web)
沢村忠(Wikipedia)
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