2000年5月26日、東京ドーム。
『コロシアム2000』のメインエベントとして行われたヒクソン・グレイシーvs.船木誠勝。
あれから、ちょうど20年が経つ。 (中略)
結果だけ記すと「ヒクソンの完勝」であり「船木の惨敗」。
だがそれは、観た者の記憶に深く刻み込まれる衝撃的な闘いだった。
無制限ラウンド(1ラウンド15分)、そして、いまでは考えられないがレフェリーストップがない決闘。
ヒクソンと船木は、ともに死を覚悟してリングに上がり、観衆は世紀の一戦を固唾をのんで見守った。
緊迫感漂う中での前半、そう、8分過ぎまでは互角の攻防だった。
スタンドで組み合い、ヒクソンが船木をコーナーに押し込んだ状態が続く。
グラウンドの展開に持ち込みたいヒクソンと、スタンド戦での打撃でダメージを与えたい船木。
いずれも自らのペースに持ち込めずにいたのだ。
その後、もつれ合うようにしてグラウンドへと移行する。上になったのは船木だった。右のパンチを2発、ヒクソンの顔面に叩き込み船木はスクッと立ち上がった。
マットに背中をつけて寝転ぶヒクソンと、立った状態で相手の足にキックを見舞っていく船木。
一見すると、単なる「猪木ーアリ状態」。ヒクソンがグラウンドに船木を誘っているようにも見える。
だが、そうではなかった。
ここに、1つ目の重要なポイントがあった。
ヒクソンに異変が生じていたのである。
「あの時、もつれ合った後に私はフナキのパンチを右目にもらってしまった。
オープンフィンガーグローブだったので指が目に入り眼球が圧迫されもしたのだろう。
大動脈の神経は両目をつないでいる。
ダメージを受けたのは左目だったが、それにより両目の視力を一時的に失ったんだ。
何も見えなくなったことに驚き不安な気持ちにもなったよ。
それでも私はパニックを起こすようなことはなかった。
冷静でいられた。
まず思ったのは、私の目が見えなくなっていることを相手に知られてはならないということ。
だから、視力が戻ることを信じて蹴られながらジッとしていたんだ」 (全文は以下リンク先参照)
https://news.yahoo.co.jp/byline/takaokondo/20200526-00180196/
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