【写真】2003年、ヘンゾ&シャオリンを撃破。2005年、アブソルートのリコ・ロドリゲス戦。20年が過ぎようが、全く色あせることはない。そして、あの頃と何ら変わりない笑顔のマルセリーニョがいた(C)ONE
24 日(金・現地時間)、タイはバンコクのインパクト・アリーナでONE170「Tawanchai vs Superbon2」が開催され、マルセリーニョ・ガウッシアが今成正和と戦う。
Text Manabu Takashima
2003年のADCC世界大会で彗星のごとく現れ、3大会連続で77キロ級を制覇。2009年こそ銀メダルに終わったが、2011年には再びグラップリング界の頂点に立った。この間、ブラジリアン柔術でもムンジアル黒帯を5度制し、神童の名をほしいままにした。しかし、この2011年のADCC世界大会を最後に現役引退──NYはマンハッタンに自らの名を冠したスクールの経営者として、チームの指導者として成功をおさめ続けてきた。
そのマルセリーニョは2023年1月に胃がんであることを公表、その経過は良好で昨年末にはハワイにジムも開いた。そして急転直下の現役復帰、43歳になったマルセリーニョは何を想い、再び組み合いの世界に戻って来たのか。リモート取材を試合の2日前にも関わらず。快く了承してくれたマルセリーニョはあの頃と全く変わらない、優しさと自信に満ち満ちていた。
愛する人のためにも、自分のことを気に掛けないといけない
──マルセリーニョ、本当に久しぶりです。まさか試合に出るマルセリーニョに再びインタビューをできる日が訪れるとは思いもしなかったです。
「本当に久しぶりだね。凄く、髪の毛が長くなっているじゃないか。いくらか僕に分けてくれよ(笑)」
──ハハハハハ。そんな言葉を聞くことができて、無償に嬉しいです。ところで体の具合はどうですか。2年前に胃がんを公表した時は、本当にショックを受けました。
「まず治療が上手くいって、今は何も問題ない。再発するか、最初の2年間が本当に大切なんだ。今年の5月23日で、その2年を迎える。最初の2年の再発率は高い。早く、その日を迎えたい。そして5年間、再発がないと根治したといえる」
──私はマルセリーニョよりも15歳も年長ですが、幸運にも癌のような重い病を患ったことはありません。それでも結果的に良性だった腫瘍を取り除く手術をした時に家族のこと、自分の将来のことを考え抜きました。自分の人生を見つめ直すこともできたと思っています。
「実は癌だと分かる前はこれからの人生、自分のことよりも周囲の人々のことを考えていきたいと思っていた。ただ、僕の子供はまだまだ小さい。自分の体をケアしないと、子供たちのことを守ることはできないと思った。それまでは体調を崩し、妙な感覚があっても大して気にしていなかった。それが食事をしようと一口、口にした時に気分が悪くなり、少し胸が圧迫しているように感じた。大したことはない。それまでなら、放っておいたと思う。
でも、2人の子供のことを考え病院に検査に行った。それは何でもないという確約が欲しかったからなんだ。でも本当にラッキーだったよ。早々に癌を発見できて、除去手術を受けることができたからね。僕の周囲の人間のことを考えるなら、まず自分の健康に気につけないといけない。そう気付かされた。僕が愛する人のためにも、自分のことを気に掛けないといけないってね」
──大都会NYからハワイに移り住んだのも、家族のことを考えてだったのでしょうか。
「僕がハワイに移り住んだのは、2022年だった。それ以前にコロナでNYのジムがクローズした時に、ハワイに1年住んでいた。NYに日常が戻った時、一度はNYに帰った。アカデミーがあるわけだし、それが正しい判断だと当然のように考えていた。ただ子供達はNYで暮らしていたのに、ハワイを経験するとNYでの生活が苦痛でしかないように映った。
何かを成し遂げるために生活拠点を変える。それには何かしらの我慢が必要なことは、僕も分かっていた」
──サンパウロからNYに移り住んだマルセリーニョですからね。
「そう、成功を手にするにはね。そうやって1年、NYで暮らしていたけど……子供達のことを第一に考えてハワイで生きていくことを決めたんだ。僕はシティが大好きだったよ。都会での生活が。NYのスクールは素晴らしく成功していたしね。でも何よりも大切なのは、ファミリーだから。
ハワイに引っ越して、すぐにアカデミーをオープンするために動き始めた。指導がしたかったし、子供達にも柔術をさせたかったからね。そんな時に癌だと分かった。そこからは、もう僕らの生活はジムを創るとかっていう問題ではなくなった。それでも術後の経過が良くて、2カ月前にスクールをオープンすることができた」
3年間、指導に専念しチームの強化に努めた。そうしたら、もう試合に出たいと思うようになっていた
──そのなかで現役復帰を決めたのは? 金曜日の試合は実に2011年のADCC以来になります。
「とても強い理由があった。最後にADCCで戦った頃は、もう試合に出ても心が躍ることはなかった。それから3年間、指導に専念しチームの強化に努めた。そうしたら、もう試合に出たいと思うようになっていたんだ。
ちょうど子供もできたし、カムバックするには良いタイミングだと思った。でも、子供の世話って他の何にも比較できないほど大変だって分かった。僕らの子供は色々とあったから……」※マルセリーニョは長男を亡くしている。
──……。
「とにかく父であることは大変だったよ。娘が2歳、一番下の子が6カ月とかだと、試合に出るような余裕はなかった。でも、ずっと試合に出たいと思い続けていたんだ。それから3年が過ぎ、上の子が5歳になっても僕は試合に出たいと思い続けたままだった。子供達も、以前よりは手が掛からなくなった。これなら、また試合に出られると思ったよ。そして癌が分かった。
順調に回復している今、本当に試合に出たいという気持ちが強くなった。だって、もうどれだけ戦うことができるのか。何より成長しつつある子供達に、自分が何をやってきたのかを見せたいと本当に強く思って」
──結果、13年と4カ月振りに実戦に戻ると。
「僕の気持ちは、16歳の時と何ら変わらないよ(笑)。あの真剣にトーナメントに出始めた頃と同じような気持ちなんだ。でも、気が付けば生まれ変わったような感覚になっている。全然40歳を過ぎた一端の大人じゃない(笑)。また16歳の時に始まったように……戦い、経験を積んでいきたい」
──その試合の場が、ONEになったのは?
「ONEのグラップリングを総ているのが、レオジーニョ(レオナルド・ヴィエイラ)だからだよ。彼は妻の柔術の先生だった。ただ僕らは距離を取るようになり(レオジーニョら多くのアリアンシの柔術家が、アリアンシ総帥のファビオ・グージェウの下を離れBRASAを結成。マルセリーニョはファビオの下に残った)、近しい関係になることはなかった。
それが1度、試合をして(2011年ADCC77キロ級決勝)から言葉を交わすようになった。柔術のことだけでなく、生活や人生についても話すようになったんだ。ここ最近、また蜜に連絡を取るようになり、レオジーニョがチャトリことを色々と話してくれた。ONEのこともね。チャトリは僕がやってきたことに、最大限の敬意を払ってくれたよ」
──この13年以上の間、指導だけで競技から離れていても短期間で試合に戻れるものなのでしょうか。
「皆は見過ごしていたかもしれないけど、世界のトップで戦っていた時もずっと指導をして来た。僕の人生は柔術の指導が軸にあるといってもおかしくないよ。最後のADCCを終えて、すぐにアントニオ・フェルナルドとライアン・ホールの指導に戻った。競技者時代も僕の生活は、指導中心だったんだ」
──では現役復帰に向けて、練習環境は整っていましたか。
「ハワイでジムを開いて2カ月、本当にソリッドな練習ができた。これは正直、驚きだったよ」
別に目新しいと感じるテクニックはないんだよ。新しい技は、僕の戦い方に影響が出るほどではない
──そんなマルセリーニョですが、今後はどのような競技者生活を考えているのですか。
「試合に関しては、一つ一つ戦って勝つ。ONEで多くの試合を経験していきたいと思っている。世界の頂点に近づけるだけ、近づくつもりだ」
──つまりはマスタークラスでの参戦ではなく、世界のトップと戦うことを視野にいれているわけですね。
「そうだね。まずは目の前の試合が大切だけど、大きなゴールを見ている。可能なら、誰とでも戦おうと思っているよ」
──それはルオトロ兄弟や、ダンテ・リオンなどと戦っていくつもりだと期待しても良いわけですか。
「凄く興味がそそられる話だね。僕のトップパフォーマンスが、誰のレベルにまで届くのか。それを知る必要はある。僕はまだ成長できる。2年間、ほとんど練習をしてこなかった。うち1年は全く体を動かしていない。それが練習を再開して1カ月の復調具合は凄まじくて、自分でも信じられないぐらいなんだ。そんな感じで3カ月が経過した。半年経てば、どうなっているのか。本当に楽しみでならないんだ」
──とはいえマルセリーニョが試合に出ていない間に、グラップリングは本当に進化しました。足関節は新たな領域に入り、カウンターのバック奪取術も進歩しました。加えてレッスルアップとスクランブル時代。何より、競技者の肉体には大きな変化が見られます。
「マナブ、僕は絶対的に年を取ったよ。でも、年を取ることは分かっていたことだろ? もう僕のフィジカルが、強くなることはない。でも、僕には経験がある。それに幸運なことに、どれだけこのスポーツが変化しても別に目新しいと感じるテクニックはないんだよ。新しい技は、僕の戦い方に影響が出るほどではない。難解な動きが増えた。僕の技術と比べると、本当に難しい。仕掛けが、シンプルじゃない。僕の動き、技はシンプルだ。今でも世界の最高レベルにある。トレーニングをしていて、そう感じるんだ。
新しい技術には触れているし、必要なら取り入れる。でも、僕のゲームを変えるまでには至らなかった。20歳の時と同じ体力はないけど、やれる自信があるんだ」
──いやぁ、もう期待値が頂点に達するじゃないですか。パパになった神童の強さ、楽しみでしょうがないです。
「ずっと長い間、試合に出る日を待ちわびてきた。今や多くの人が、僕が戦っている姿を見たことがない。だから、僕の言葉はそういう人達には届かない。再び僕が良いパフォーマンスを見せることができれば、コンペティションのなかで何が起こっているのか。何が真実なのか、皆が耳を傾けるようになるだろう。そうなってほしい。僕は今も成長しているから。
以前のように見ている人達が、楽しめるエキサイティングな試合がしたい。勝ち負け以上に、何を魅せられるのか。何もこの年になったから、そういうことを言っているわけじゃないよ。僕はこれまでの競技生活で、フィニッシュすると試合前に約束したことはないからね。ただ、自分の全てを出したい。金曜日の夜もそうするつもりだ。長い間、試合に出ていなかったから皆は忘れてしまっているけど、皆に僕の全てを見てもらいたい」
──マルセリーニョ、今日は本当にありがとうございました。最後に日本のマルセリーニョを愛してやまない皆に、一言お願いできますか。
「僕は日本を愛している。でも、まだ2日間しか日本にいたことがない。これからの人生では、もっと日本で過ごす時間を増やしたい。これまで、語学の勉強をしようと思ったのは日本語だけなんだ。忙しすぎてレッスンを受け続けることができなかったけど、日本を想う気持ちは何も薄れていない。
実はこの試合が終わると1日、シンガポールによって──チャトリにセミナーを頼まれてしまってね(笑)。でも、その足で日本に行って4日間滞在する予定なんだ。日本の皆に会えることを楽しみにしているよ」
■視聴方法(予定)
1月24日(金・日本時間)
午後8時15分~U-NEXT