【写真】MMAPLANETでは初登場となるヴィセンチ・ルケ。1991年11月生まれの28歳、今大会でも要注目の1人だ (C)Zuffa/UFC
9日(土・現地時間)、フロリダ州ジャクソンビルのヴィスター・ベテランズ・メモリアル・アリーナで決行されるUFC249。
コロナウィルス感染拡大の2カ月を経て活動再開に踏み切ったUFCだが、今大会に出場する選手の多くが試合決定→延期→決定という不安定な時期を過ごしてきた。
ヴィセンチ・ルケもその一人だ。当初の予定では4月11日のポートランド大会でランディ・ブラウンと戦うはずだったが、同大会は無観客大会としてラスベガスのUFC APEXで行われるという報から一転して時期未定の延期に。
さらにファイトアイランズ、もしくはカリフォルニア州リムーアで開かれるという話があった4月18日大会におけるニコ・プライス戦が発表されるも、実現には至らなかった。そんな1カ月半を経て9日にプライスと戦うルケの心境と、MMAとしては少数派である接近戦ストライカーの変遷を訊いた。
──ヴィセンチ、初めまして。今回はインタビューの機会を与えてもらいありがとうございました。
「こちらこそ、ありがとう。日本に行ってみたいとずっと思ってきたし、インタビューをしてもらって嬉しいよ」
──5月9日、紆余曲折がありフロリダでニコ・プライスと戦うことが決定しました。ジェットコースターのように感情の起伏があった1カ月半を過ごしてきたのではないでしょうか。
「色々大変だったよ。とにかく試合が決まり、変更されるという繰り返しだったから。最初は4月11日にランディ・ブラウンと対戦する予定だったけど、イベントがキャンセルされて、18日にどこかで誰かと戦うことが決まり、フロリダへ向かった。そして、対戦相手がニコ・プレイスに決まった。なぜランディ・ブラウンでなくなったのか、理由も分からないけどけど、プライス戦が唯一の選択肢なら僕は戦うよ。
とにかく試合がしたかった。だから、いつでも戦える準備はしていたんだ。本音を言えば、なかなか辛かったよ。でも、試合のオファーがあれば、対戦相手が誰だろうが試合を受けるという想いだけは持ち続け、コンディションの維持に努めていた。だからオファーがあれば、戦うだけさ。でもサンフォードMMA(Hardknocks365)で4月18日の試合に向けてトレーニングをしていたけど、結局大会は延期になったからブラジルに戻ってきたんだ」
──えっ、ヴィセンチは今ブラジルにいるのですか。
「そうだよ。家族をブラジリアに残していたからね。5月9日にUFC249が開かれることがで決まり、そのままブラジルで調整しているんだ。来週、またフロリダへまた向かうよ」
──それは……想像を絶するハードさですね。現状、ブラジルのコロナ感染は米国に次ぐ状況で、しかも外出自粛がままならない状況だと聞いています。
「コロナウィルスの厳しい状況にだからこそ、家族と長い期間離れていることはできない。一緒に生きているんだから」
──人としての判断ですね。ただし、体調管理は厳しくないですか。
「現状で可能な限りベストコンディションを維持している。このチャレンジに対し、ベストを尽くすだけさ」
──今はセハードMMAで準備をしているのですか。
「ジムでは練習できないから家でデキることをして、外を走りスタミナトレーニングをしている。コーチが指示してくれた運動をして、体調を維持しているよ。気持ちの面も全く問題ない。あとは戦うだけだ」
──今回、まだまだUFCの真っ向勝負男=ヴィセンチ・ルケのことを知らない我々、日本のファンにヴィセンチとはどのようなファイターなのかを尋ねさせてもらって良いでしょうか。
「もちろんだよ。何でも聞いておくれ」
──ヴィセンチは米国生まれのブラジリアンだそうですね。
「僕はチリ人の父と、ブラジル人の母の間で米国で生まれたんだ。6歳の時、母と一緒にブラジリアにやってきて、ずっとこの街で暮らしている。父は今も米国にいるよ」
──だから英語もスペイン語も話せるのですね。
「米国にいる間、友達とは英語で話し、家の中では父とはスペイン語、母とはポルトガル語で話していたから、自然と3ヵ国語が話せるようになったんだ」
──格闘技を始めたきっかけは?
「3歳の時に母に連れられて、空手を始めたのが格闘技との出会いだよ。彼女は空手の黒帯を巻いていたんだ」
──お母さんが、ですか!!
「そうなんだ(笑)。剛柔流の。子供の頃は空手に夢中になっていた。それから15歳でムエタイを始め、試合にもでるようになった。16歳になって柔術の練習をするようになり、17歳からMMAで戦っているよ。最初の試合はブラジリアで戦い、MMAではなくヴァーリトゥードだったね。PRIDEみたいに顔面踏み付けも許されていたから(笑)」
──28歳ながら、ユニファイド以前のルールを経験しているのですね。それは貴重な経験です。ところで、なぜムエタイや柔術を学び、MMAファイターを志したのですか。
「僕はK-1が大好きで、同時にヴァンダレイ・シウバとマウリシオ・ショーグンのPRIDEでの戦いを見て育った。いつか、彼らのように戦いたいとずっと思っていたんだ。そして、友達が先にムエタイの練習を始め、僕もすぐに続いた。半年後に初めて試合に出て、これこそ僕のやりたいことだと分かった。それからの人生は格闘技に邁進しようってね。
15歳でムエタイを始めた時のも、今も所属しているセハードMMAだよ。フロリダでブラックジリアンズを経てハードノックス、サンフォードMMAでも練習しているけど、ずっとセハードMMAの所属だよ」
──日本のファンにとってセハードMMAといえば、ヴィヴィアニ・アロージョです。彼女のパンクラスの活躍で、我々はセハードMMAを知ることになりました。
「ヴィヴィからは日本のことをたくさん聞いたよ。ヴィヴィにとって日本で試合ができることはとても大切なことだった。だから、しっかりと対策を練り練習をした。ブラジルに戻ってきたヴィヴィは、もう日本のことが大好きになっていたよ。パンクラスという団体の待遇だけでなく、日本の人たちのMMAへの想いが素晴らしかったって。
ヴィヴィがいつもそんな風に日本のことを話しているから、僕ももっと日本に興味を持ち、より好きな国になったんだ。とにかくヴィヴィは日本のことを褒めちぎっていたよ」
──その話を聞くと、日本のファンもただただ嬉しい限りだと思います。ところでヴィセンチの試合を見ていると、ファンが喜ぶ殴り合いを毎回のように繰り広げています。MMAというロングレンジの競技で、まるでキックボクシングのように拳の届く距離で、相手の正面に立ち、しかも小さなMMAグローブでブロッキングを駆使する。非常に珍しいスタイルです。
「それこそ、僕がムエタイを始めてから一貫して追求してきた戦い方だよ。小さなグローブをつけて、ブロッキングを使ってきた。前腕やヒジで上手く顔を守れるようにね。しっかりとディフェンスし、素早く相手を殴ることができる距離で戦うのが好きなんだ。相手のパンチをブロックして、自分が殴り返す。そういう風に戦うために膨大な練習をしてきたんだよ」
──かなりリスキーではないですか。MMAグローブでは。
「その通り。確かにリスキーだよ。でも僕は子供の頃からK-1を視るのが大好きで、K-1ファイターになりたいって思っていたんだよ」
──そうなのですかっ!!
「でも、ヘビー級にはなれないって気付いた。だから、K-1ではなくK-1 MAXで戦いたいと思うようになった。結果、MMAファイターになったけど、ムエタイやキックボクシングをしっかりと身につけて、ケージのなかでもあの頃に夢見た戦いを実践しているんだ」
<この項、続く>
■UFC249対戦カード
<UFC暫定世界王座決定戦/5分5R>
トニー・ファーガソン(米国)
ジャスティン・ゲイジー(米国)
<UFC世界バンタム級選手権試合/5分5R>
[王者]ヘンリー・セフード(米国)
[挑戦者]ドミニク・クルーズ(米国)
<ヘビー級/5分3R>
フランシス・ガヌー(カメルーン)
ジャイルジーニョ・ホーゼンストライク(スリナム)
<ウェルター級/5分3R>
ドナルド・セラーニ(米国)
アンソニー・ペティス(米国)
<ヘビー級/5分3R>
グレッグ・ハーディー(米国)
ヨーガン・デ・カストロ(米国)
<ヘビー級/5分3R>
アレクセイ・オレイニク(ロシア)
ファブリシオ・ヴェウドゥム(ブラジル)
<ライトヘビー級/5分3R>
サム・アルヴィー(米国)
ライアン・スポーン(米国)
<女子ストロー級/5分3R>
カーラ・エスパルザ(米国)
ミッシェレ・ウォーターソン(米国)
<ミドル級/5分3R>
ホナウド・ジャカレ(ブラジル)
ユライア・ホール(米国)
<ウェルター級/5分3R>
ヴィセンチ・ルケ(ブラジル)
ニコ・プライス(米国)
<フェザー級/5分3R>
ブライス・ミッチェル(米国)
チャールズ・ロサ(米国)