【写真】剛毅會のサンチンでは、息を吐くときにハッキリと発声することはない (C)MMAPLANET
型、中国武術の套路をルーツとされるなか沖縄で手の修得に用いられた。それが空手の型だ。ここで取り上げているサンチンもそのルーツは中国武術にあるといわれている。元々は一対一、あるいは極小人数で稽古が行われていた型は、明治期に入り空手が体育に採用されることで、集団で行う体力を養う運動へと変化した。
型を重視する剛毅會の武術空手だが、岩﨑達也宗師は「型と使って戦うということではない」と断言する。自身の状態を知り、相手との関係を知るために欠かせない型稽古を剛毅會ではサンチンから指導する。
同じサンチンでも、各流派で順序こそ同じであっても、内容が違ってくる。中身が違う一番の理由は、型稽古を行う目的が違うためだ。力を出すための型稽古と、力が出る型稽古は呼吸の意味合いも違っていた。
武術空手のサンチンで行う呼吸とは、英語にした場合にはBreathingにはならない。そして、『ハァ』という発生を伴う呼吸もない。空手における息吹の有無、ここに触れてみたい。
<【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─03─サンチン02「目的と設計図」はコチラから>
──Breathingでないということは、息を吸って吐いて、だけではないということでしょうか。「阿吽の呼吸」という言葉にある呼吸に、通じているのですか。
「そういう風にいう呼吸ですよね。相撲は立ち合いで呼吸が合わないと、始まらないですよね。呼吸という言葉を、阿吽の呼吸や相撲の立ち合いでの呼吸という風に使っている国は、日本の他にないと思います」
──呼吸とは息づかい、あるいは英語だと息をつくということで休憩するという意味ぐらいですね。
「そういう日本独自の言い方の呼吸……ですよ。Breathingではない。一つ言えるのは、オーケストラの指揮者がいるじゃないですか」
──ハイ。
「アレも同じ譜面があっても、名指揮者と呼ばれる人がタクトを振るのと、覚えたて人がするのでは、同じ軌道を描いたとしても違ってくるはずです。それも日本語独自の呼吸ですよね」
──演奏者と指揮者の呼吸ですね、まさに。
「ピアノの伴奏に合わせて、歌い手が歌うのも呼吸ですね。サンチンは突いて、それを円で腕受けする。言ってみると、それしかない型なのに突いてからの腕受けの呼吸が、どれだけでも深めていけるんですよ。サンチンとは、その呼吸を得ることができる唯一の型なんです」
──その呼吸がBreathingでない、呼吸になるのですか。
「Breathing、医学的にいう呼吸もあります。吸って、吐くという」
──サンチンの呼吸は吐く時に口を開け気味にして、しっかりと意識しています。
「ただし、それは呼吸を人に見せているのではなく、呼吸を意識することで、自分の呼吸を理解しているんです」
──そこが最も重要だというのは?
「吸って、吐いてという呼吸はナイファンチンからはやらないんです。吸って、吐いての呼吸と同様に動作の呼吸というものがあります。それが先ほどのタクトを振るうということで例えると、何となく振っているのと、オーケストラ―全体を俯瞰して、そのハーモニーを考えて振るのでは、武術的に言えば呼吸が違うということになります」
──もっと大きく声をあげる、いわゆる息吹という呼吸はどういうものなのでしょうか。
「私がやってきた他流派のサンチンの呼吸は、ただ単に吸って、吐くというものでした。喉を鳴らして『カァ~』って言う」
──息吹はなぜ、あの『カァ~』という声を出すのですか。
「ああいう呼吸は、東恩納寛量先生はしていなかった。宮城長順先生から始まったと私は聞いています」
──剛柔流の開祖の宮城朝順から息吹を始め、極真もその流れをくんでいると。
「これも聞いた話なのですが、宮城先生が中国を訪れた時に、そこで見た……それは福建省の白鶴拳でまず間違いなくて。白鶴拳にも飛鶴拳、宿鶴拳、食鶴拳、鳴鶴拳という四大流派があります。
そのなかで宮城先生は鳴鶴拳を見てきたみたいで、その影響を受けたと聞きました。鳴鶴拳は、その名の通り鶴が鳴く、威嚇する形意を表していて、その際に套路で攻撃の威力を増すために内勁(内功)を練る。その呼吸法として、『クォ~』、『カァ』という声を挙げているようなんです」
──それは鶴の真似をしてという風に理解して良いでしょうか。
「鳴いている鶴の真似をしているんだと思いますよ」
──息吹は鶴の鳴きまねだったと。それって元々は白鶴拳では内功を練るということですが、声を出すことが必要だと思われますか。
「う~ん、そういう風に疑問を感じたことがなかったんですよ。やりなさいと指導を受けて。審査のためにやっていたようなモノで」
──奇しくも水垣偉弥選手が剣道をやっていて、剣道にも型があるのですが、昇段検査のために何も考えることなく覚えていたと言っていたことがありました。
「そうですね。やらないと、帯がもらえない。そういうことでしたね。それが──精神を落ち着けるためにあるだとか、そういう風に書いてある本もありました。臍下丹田(せいかたんでん)に力を込めて、『クォ~』、『カァ』とやることで心を落ち着けるだとか。だから試し割の前に、心を落ち着けるために『クォ~』、『カァ』とはよくやっていましたよ」
──精神統一のために。自己催眠のようにして、落ち着くのですか。
「いやぁ、無理でしたね(苦笑)。そりゃ、緊張してしまっていますからね……そんなことをしても。だから、そういう経験がなかったり、知識がなくて剛毅會でサンチンを始めたような人のなかには、呼吸という部分に関して他で経験してきた人達よりも感じやすいというのはあります。それって他の知識や経験がないので、自分が感じたこと……そのものズバリなんです」
──空手は流派が多く、サンチンを実際に行っているところも少なくない。だからこそ、呼吸のためのサンチンというものが存在しないサンチンが往々にあるということなのですね。
「ウチでやっているサンチンしか知らない。そこで何かを感じ取っていると、『クォ~』、『カァ』とやるのを見ると違和感を覚えるばかりでしょうね」
──その呼吸ですが、例えばヨガだとやっている間に眠くなるというのを聞いたこともありますし、実際に見学しているとやっている人が眠ってしまったのを見たこともあります。ゆっくり呼吸をすることで、サンチンをしている時に眠気を覚えるようなこともあるのではないでしょうか。
「あるかもしれないですが、それは良くないことです。それは気持ち良くなってしまっていますよね。力むよりも良いですが、ゆっくり動くなかで筋肉や、心の状態にどのように呼吸が影響しているのかが、体得できていない。だから眠くなる。サンチンは呼吸、体、精神という三位一体で見つめて、深めていけるものです。同じ姿勢でも、ゆっくりと呼吸を理解していけば、足元にその影響が出ているとか、自分で感じることができます。
その想いが共有できない人に動きの順序や、形を真似てもらっても、そこは理解できない。と同時に理解し始めた人が、もっと知ろうと疑問をぶつけてくれた時、そういう部分を掘り下げていないと、答えることすらできない。そして言葉では、もう延々と説明ができてしまうので、『なら実際に動きましょう』となる。その繰り返しなんです。やればやるほど味のある型、それがサンチンです」
<この項、続く>