【写真】站椿とは、何か。MMAファンも一緒に学んでいけることが楽しみだ(C)MMAPLANET
型、中国武術の套路をルーツとされるなか沖縄で手の修得に用いられた。それが空手の型だ。ここで取り上げているサンチンもそのルーツは中国武術にあるといわれている。元々は一対一、あるいは極小人数で稽古が行われていた型は、明治期に入り空手が体育に採用されることで、集団で行う体力を養う運動へと変化した。
型を重視する剛毅會の武術空手だが、岩﨑達也宗師は「型と使って戦うということではない」と断言する。自身の状態を知り、相手との関係を知るために欠かせない型稽古を剛毅會ではサンチンから指導する。
武術空手で行う5種類の型にあって、息を吸いて吐くという意味の呼吸が学べるのはサンチンだけだ。そして、剛毅會空手では站椿も稽古に取り入れる。そもそも站椿とは何なのか。武術空手を知る上で、切っても切れない関係ながら、深みに入ることが恐ろしくもある中国拳法の入り口付近を、これから暫らくの間は歩いていくこととする。
<【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─04─サンチン03「目的と設計図」はコチラから>
──サンチンだけが吸って、吐いてという呼吸を学べる。そのなかで站椿を剛毅會空手で取り入れているのはなぜでしょうか……という質問の前に、多くのMMAファンは站椿とは何かと疑問に思うかと。
「站椿とは何か。アハハハハ。站椿とは何かとは、永遠の課題なんですよ。立禅(りつぜん)という呼び方もありますが、それは日本の人間の言い方で書いてそのまま立ってやる禅だと。そうなると、なぜ禅なんだ。そして禅って何だよっていう話になってしまいます」
──それこそ禅問答だと。
「ホント、だから突っ込み始めるとキリがない。站椿とは一般的には筋肉とか、目に見える技とだかではなくて、体の内面のエネルギーを養成する稽古とは言われています」
──それは空手ではなくて、中国拳法の世界でということですか。
「ハイ。中国拳法で、です。私は中国拳法の専門家ではないのですが、私の知識の範囲でいえば中国拳法は仏教系、道教系、回教(イスラム教)系の武術に分かれています。八極拳などは、回教系の武術なんです」
──えぇ!! そうなのですか。
「宗教と結び付けて稽古することが多くて、前回お話したようにサンチンは白鶴拳のなかの鳴鶴拳から来ていることは間違いないのですが、白鶴拳はどちらかというと仏教系の拳法なんです。そして内家拳は道教の拳法で、代表的なのが太極拳、形意拳、八卦掌という3つです」
──MMAファンも太極拳はもちろん形意拳、八卦掌は耳にしたことがあると思います。
「そのなかの形意拳から、シンブルに技を抽出したのが王向斎によって創られた意拳です。その意拳の主たる稽古が站椿でした。それが一般的な考え方です」
──意拳では站椿のような稽古ばかりで、組手は存在しないのでしょうか。
「約束組手のようなモノから、推手という……見た目は手をグルグルと回し合ってバランスを崩すようなモノ、また自由組手──スパーリングのようなモノもあるそうです。この道教系の拳法には、五行合一(ごぎょうこういつ)──古代中国にあった万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなり、栄枯盛衰はこれらの元素の働きで変化するという自然哲学の思想や、小周天(しょうしゅうてん)という自分の体の中のエネルギーの経路や周囲に気を通すということや、大周天(だいしゅうてん)という人間と大地との交流だとか、そういうことと結び付けて説明する特徴があります。
この考え方自体が道教の思想なんです。そして意拳では組手をするにしても筋肉や技を鍛えて挑むのではなく、意や気のような人間の内面を練って戦うということです」
──内面の気を養成するために站椿という稽古が存在しているということですか。
「これも一般的な話でいえば、形を養うこと。その結果、打撃の破壊力、威力が増すため、つまり武術的な能力を高めるために取り入れている……のでしょうね。だから理解できないというか、理解する気がない人には理解ができない稽古だと思っています」
──その理解することが難しい站椿と岩﨑さんの出会いというのは?
「それは……たまたま私は站椿を取り入れているフルコンタクト空手の道場に、子供の頃からいたわけです」
──まぁ、もう読者の皆さんはそれが極真だということは理解できていると思いますが、極真ではどの道場でも站椿をやっていたということでしょうか。それとも城南支部だけだったのですか。
「もともと大山倍達先生が日本人で唯一、意拳を中国で習ったとされる澤井健一と深い交流がありました」
──それこそ王向斎に学び、太気拳の開祖となった澤井健一氏ですね。
「ハイ、そういう経緯で我々も站椿の稽古をするようになったんです。実は交流試合なんかも、やりましたし」
──あっ、太気拳と極真の人たちが掌底ありで組手を行うビデオは見たことがあります。こういうとアレですが……ヒョロヒョロでTシャツを着ている太気拳の人が、極真の人にバンバン掌底を当てていて……。
「アハハハ。ヒョロヒョロの!!」
──岩﨑さんも立ち会っていたのですか!!
「私は中学校3年生で、先輩達がやっているのを見ていました(笑)」
──ただ、あの映像は衝撃的でした。極真の屈強な人たちが、もやしみたいな人に顔面に掌打を食らっていて。ただ、今からするとだって太気拳のフィールドじゃないかと理解できるのですが。
「確かに掌底を受けていましたよね。そして、結論からいえばいつものルールではなかった。言われた通りです。極真ルールでやれば極真の人達の方が優勢だろうし。ただし、顔面を殴られて良いというモノではないですからね。その後グローブが出てきたり、MMAが出てきたことで顔面掌底どころでない時代となりました。そこを根っこから穿り返そうと、私は独立した時に思ったわけです」
──バーリトゥードはともかく、グローブよりも掌底とはいえ素手だったのでえげつなく感じました。
「それはそうかもしれないですね。指先が目に入ったりしていましたからね。外側の怪我はグローブより多かったです。ボクシングやキックがあった時代ですから、グローブよりも掌底の方が見慣れていないというのはあったと思います。ただ、アレって忘年会……武道の世界では納会での一幕で。先生方も澤井先生に習っていたりしたので、組手をしている先輩方は緊張感はあっても、殺伐とした空気のなかで行われていたわけではなかったです」
──なるほどぉ。いやぁ、凄く貴重な話をありがとうございました。そういう交流があり、站椿を取り入れていた。ただ、太気拳そのものを取りいれることはなかったのですか。
「熱心な先生、全然関係ない先生がいました。私の道場はたまたま站椿をやる方だったけど、まぁ優秀な先輩方も含め全員が一生懸命やっていたわけではないです。私も取りあえず站椿の稽古をしていたということで、決して熱心ではなかったです」
<この項、続く>